2000年、アルパカラフトは、革新的なデザインを手がけるSheri Tingeyと、アラスカのブルックス山脈を600マイルにわたって漕ぎ抜け、より高性能なパックラフトを夢見た彼女の息子Thorによって誕生しました。
誕生の成り立ち
Sheriの旅は1960年代後半に始まります。アリゾナ州フェニックスの社交的な暮らしを離れ、ワイオミング州ジャクソンホールで川遊びやスキーを楽しむ生活を始めました。幼い頃に祖母から裁縫を学んでいた彼女は、やがてジャクソンで「Design by Sheri」というカスタムスキーウェアのショップを立ち上げます。これは現代のアウトドアウェアメーカーの先駆けの一つとなりました。また熱心なカヤッカーでもあったSheriは、ホワイトウォーターカヤックの黎明期をジャクソンにもたらした存在でもあります。1980年代初頭、子育てのためにそのビジネスを手放しますが、息子の誕生とともに再びカヤックの世界に戻ることになったのは、ごく自然な流れでした。
Thorはジャクソンで生まれ、1981年に父親の転勤でアラスカ州デナリ国立公園へ家族と共に移住します。大自然に囲まれた環境で育った彼は、バックパッキング、川下り、登山、犬ぞり、狩猟、釣りといったあらゆるアウトドアアクティビティに親しみながら成長していきました。
1990年代後半
Tingey家がRoman Dialと出会ったのは、1990年代初頭、彼がデナリへの旅の途中で自転車を家に置いていったことがきっかけでした。
アンカレッジの大学教授であるRomanは、アラスカを代表する冒険家の一人として知られ、ウィルダネスクラシックというアドベンチャーレースでパックラフトに出会ったことから、その先駆的なユーザーとなりました。
1996年には仲間とともにマウンテンバイクとパックラフトを駆使してアラスカ山脈を700マイル横断し、その偉業はナショナルジオグラフィック誌の表紙を飾るほどの注目を集めました。
1996年
Thorはコロラドスプリングスのコロラド・カレッジ(CC)に進学。当時、同校ではRitt Kellog記念基金によるアウトドア探検の助成プログラムが始まったばかりでした。
Thorはアイデアを求めてRomanに相談し、彼から「アラスカ山脈横断ルートの一部160マイルをハイキングとパックラフトで旅してみては?」と提案を受けます。Thorと4人の仲間は助成金を獲得し、1998年の夏にその冒険を成功させました。この体験が彼らを完全に魅了したのです。
さらに2000年には、再びRitt Kellog基金の助成を得て、ブルックス山脈を39日間かけて600マイル横断する大遠征に挑みました。しかし、Thorによれば、当時使用していたパックラフトはどれも不十分なもの。
Romanが使っていたシェルパ製パックラフトは1980年代に製造中止となっており、Thor自身はセビラー製のトレイルボートを使用しました。これは湖で遊ぶには最適でしたが、アラスカの大河に耐えられる強度や耐久性はありませんでした。
そこでThorは、ついに母Sheriに「自分のためのラフトを作ってほしい」と頼むことになるのです。
Sheriは長年のカヤック経験と衣料デザインのノウハウを、Thorが提案するバックカントリー向けのアイデアと組み合わせ、二人の手で最初のパックラフトを生み出しました。
その第一号は「ホワイトボート」と名付けられ、2000年に完成します。
船体には片面にウレタンコーティングを施した厚手の白ナイロン生地を使用し、直径12インチのチューブと反り上がった船首を備え、ホットエアガンとローラー、そして大量のアクアシール®で丁寧に封をして仕上げられたものでした。
この革新的なデザインはパックラフトの世界に旋風を巻き起こし、ここからAlpacka Raftの伝説が始まりました!
Packraft Hokkaidoは、パドリングコミュニティの繫がりから、“ Alpacka Raft “ の日本での販売店となりました。